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99年12月31日 「さよなら1999」

もうすぐ1999年が終わりを告げる。

「7の月」や「恐怖の大王」などといったノストラダムスの予言は何一つ当たらず、 「ブッチホン」のようなどうでもいい言葉が流行語に選ばれ、 今年を締めくくる紅白では、もはや過去の流行歌である「だんご3兄弟」が歌われて終わりそうな、 そんな平凡な1999年だったが、 「デスクリムゾン」に関しては、本当に話題に事欠かない、正に世紀末にふさわしい1年だった。


始まりは、年が明けたすぐの1月13日、 98年夏のエコール社前の張り紙で予告されていた事が、 エコールのサイトで堂々と発表された「デス2」のドリームキャストでの制作発表。

4月、「黙して語らず」だったエコールのプレジデントである 真鍋社長自らが熱く語ったクイックジャパンのロングインタビューと、 その直後より始まったドリマガでの情報公開。

雑誌で発表された時、「これって秒間20コマなんてオチは無いよな?」と一部で噂されたほど、 ドリームキャストの処理能力とエコールの技術力(?)によって 前作に比べると飛躍的に進化したゲーム画面。

「4人同時プレイ」「ガンの十字キーを使う」 「マイク対応」「ネット対応」等、 他にマネできない(しない?)数々の新要素。

8月、真夏の暴挙として、東西のクリムゾナーが エコール本社の扉の前までこっそり行く予定だった「聖地巡礼」での、 まさかの真鍋社長との接見と、そこでファンの前で自信たっぷりに見せられた、 秒間60コマで動いていた「デス2」。

9月より全国規模で行われたデス2イベントでは レアアイテムとされていたデス1Tシャツが ゲーム大会の賞品として大量に配られ、 私も2度目の大阪のイベントでは、決勝は無様に秒殺で終わったものの、 運良く入賞を果たし、かろうじて入手に成功した。

ソフト発売より少し前の11月12日、ドリマガ増刊号の付録である 体験版GD−ROMの1つとして収録されていた「デス2」では、 セガの伝言板などで「やはりデス様!」と笑う者も当然多かったが、 そんな中でも確実にあった「前作は知らないが2は面白い」という意見。

そして、待ちに待った11月25日、デス2の発売日。 同日発売だった「ときメモ2」の大行列に巻き込まれ、 さんざん待たされながらもようやく入手した、待望の「デスクリムゾン2」。

同日夕方、20分は開いた口がふさがらなかった、衝撃のエンディング…。

「どうして製品に収録しておかなかったんだ?」と言いたくなるほど 非常に完成度の高いオリジナルステージや、 湯川元専務やメッセサンオー店長によるダメージボイス等のネット配信機能をフル活用したサービス。


2000年は、デスクリムゾンにとって、いったいどんな1年となるのだろう。

スコアアタックでの不満を全て消し飛ばすべく 「愛称・がちんこアタック」として配信された、 スコアアタック専用ステージ『エルミデ鉱山F』によって、 停滞ぎみのスコアアタック熱が、徐々に活性化されるのか?

ドリマガ読者投票での、最下位スレスレの順位 (たしかに素直に誉められる内容では無かったかもしれないが、それにしたって低すぎる)が、 今後遊び込まれる事によって再評価され、次第に上昇に転じていくのか?

イベントで発表された、アーケードへの逆移植となる 「NAOMI版・デスクリムゾン2」の行方は?

ガンシューティングの需要が高い海外でのデス2の発売は、予定通り発売されるのか?  海外版ではあのストーリーモードはどう調整されるのか?

ワンダースワンで発売が予定されている「ムサピィのみらくるデス魔宮」が、 何らかの形でデス2と連動する事はあるのか?

そして、エコールHPでの、謎の「声優ボランティアの募集」は、 ひょっとして「デスクリムゾン2の続編」の為の布石なのか?

来年の事を考えれば考えるほど、期待と同じ分だけ不安も入り交じってくるのは、 やはりエコール社とプレジデント真鍋率いるSTUFFが、 今度はいったい何をしでかすのか全く予想できないからだろう。


ところでこの「デスクリムゾン日記」も、ふと気が付けば もう2年も書き続いている。 もちろん念願のデス2が発売されたからといって、この日記を終えるつもりは毛頭無い。 この日記が終わるのは、私が「デスクリムゾン」に対する好奇心を完全に失った時。 そして、この「シャトレーゼ紅威のホムペ」が閉鎖される時だけだ。


3年目に突入しようが、相変わらず私はデスクリムゾンという奇妙な愛すべきゲーム への喜怒哀楽を、日記として書き連ねていく事だろう。

理由はもちろん、

「せっかくだから!」

実は気になる事がもう1つ。 デス1の2000年問題(99年の次が100年になる)は、どれほど話題になるのかー!?(笑)