荒木飛呂彦先生の“デビュー前”の投稿作品、『ザ・ボトル』とは!?

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 荒木飛呂彦先生のデビュー作と言えば、1980年の第20回手塚賞準入選の『武装ポーカー』だが、それより3年も前の、1977年「第14回手塚賞」最終候補作品にも、荒木先生の名前が発見された。

soorceさんツイッターでの投稿より。)

 作品名は『ザ・ボトル』。キャラクターの服装から「西部劇」マンガである可能性が高い。
荒木先生は以前、画集『JOJO 6251 荒木飛呂彦の世界』のインタビューの中で、「西部劇マンガを2本くらいかな、あとはSFマンガとか、合計で4本くらい描いたんです。」と語っていたので、そのうちの1作品だと思われる。
絵柄は同じ西部劇マンガの『武装ポーカー』や『アウトロー・マン』とはかなり違っており、絵柄からは荒木先生の作品だと判別できないが、ペンネームが「荒木之 利(あらきの とし)」となっているため、荒木先生の作品と見て間違いないだろう。(3年後のデビュー作『武装ポーカー』でのペンネームは、「荒木利之(あらき としゆき)」。)

 荒木先生はデビュー前に様々な漫画賞への投稿を行ったものの、最終選考止まりが多かったため、「これは直接意見を聞かなきゃ」と集英社に直接持ち込みを行った。そこで初代担当編集者・椛島良介さんと出会い、見事デビューを果たした(その辺りの話は画集『JOJOVELLER』のヒストリー本で、たっぷり!語られている)。「真実から出た『真の行動』は、決して滅びはしない」、今の荒木先生へとつながるこの投稿作品も、機会があればぜひ一度見てみたいッ!?

関連:

  • サタデープログラム 荒木飛呂彦講演「漫画家という仕事」長文レポート&サイトリンク集
    この時の話では、荒木先生がマンガの投稿を始めたのは、高校1年の頃から。しかし全て落選、しかも同じ歳のゆでたまごや、年下の桂正和、他にも怒涛のごとくデビューしていく。なぜ落選したのか分からず、東京の編集部に、徹夜で仕上げた原稿を持って、4時間掛けて直接聞きに行くことにした。
  • 画集『JOJO 6251 荒木飛呂彦の世界』[A]掲載、荒木飛呂彦インタビューより。

    JOJO 6251 荒木飛呂彦の世界 (愛蔵版コミックス)
     じつは僕、小さな頃からずっとマンガ家になりたいと思っていたんですよね。でも、それは隠していたんですよ。「将来の夢は?」と聞かれて「マンガ家」と答えると、「頑張ってね」ってみんな言うけど「なれるわけねえだろ」という無言の態度を、僕は子供ながらビビビビッと感じていたんです。だから親にも言いませんでしたね、マンガ家になりたいって。同人誌みたいなものもやったことがないし。

     そのうちにマンガ家になりたい、ではなく「マンガを描きたい。絵やデザインや、物語の世界にひたっていたい!!」という気持ちになっていたんですよ。それでデザインの専門学校に通いながら、西部劇マンガを2本くらいかな、あとはSFマンガとか、合計で4本くらい描いたんです。それを『少年ジャンプ』の手塚賞とかに応募してたんですよ。

  • 荒木先生の初めての上京生活は、8畳お風呂付きだった!? 『まんが道』愛蔵版に荒木先生がエッセイを起稿!
  • 第20回手塚賞(1980年)の授賞式で、手塚先生と握手する荒木先生(この時はまだ「荒木利之(あらき としゆき)」)
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