漫画家・藤子不二雄先生の自伝的漫画作品『まんが道』の愛蔵版コミックス8巻[A]巻末に、荒木先生のエッセイが、『こち亀』の秋本治先生のエッセイと共に掲載されている。
荒木先生のエッセイは「『まんが道』への感謝」というタイトルで、巻末に2ページ掲載。
もし『まんが道』という作品がなかったら、当時の若い漫画家たちの生活と、漫画への「純粋な情熱」を知ることができず、“「羅針盤」のない未知への航海というか…そういうことだったと思います”と、作品への感謝が綴られている。
また、今は豪邸に住む荒木先生が、上京して最初に住んでいた部屋は、8畳くらい(風呂付き)だったとのこと。
「まんが道」作者の藤子不二雄A先生は、昨年六本木で開かれたジョジョ25周年パーティに出席し、ちばてつや先生と共に、荒木先生にお祝いのスピーチを行っている。また、今年1月にも、集英社の新年会のあと、荒木先生と藤子A先生、ちば先生他、ディ・モールト豪華な顔ぶれで新年会を行なっている。
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藤子Aタッチで描かれた荒木先生
(ジャンプ SQ. 2013年 01月号 [A]より) - 画集『JOJO 6251 荒木飛呂彦の世界』[A]掲載、荒木飛呂彦インタビューより。
じつは僕、小さな頃からずっとマンガ家になりたいと思っていたんですよね。でも、それは隠していたんですよ。「将来の夢は?」と聞かれて「マンガ家」と答えると、「頑張ってね」ってみんな言うけど「なれるわけねえだろ」という無言の態度を、僕は子供ながらビビビビッと感じていたんです。だから親にも言いませんでしたね、マンガ家になりたいって。同人誌みたいなものもやったことがないし。そのうちにマンガ家になりたい、ではなく「マンガを描きたい。絵やデザインや、物語の世界にひたっていたい!!」という気持ちになっていたんですよ。それでデザインの専門学校に通いながら、西部劇マンガを2本くらいかな、あとはSFマンガとか、合計で4本くらい描いたんです。
それを『少年ジャンプ』の手塚賞とかに応募してたんですよ。『少年マガジン』とかも好きだったんだけど、80年台に入るとラブコメ路線になっていて、それがすっげー気に入らなかったんでジャンプにしたんです。
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