サタデープログラム 荒木飛呂彦講演「漫画家という仕事」長文レポート&サイトリンク集

2006/10/23:個人サイトのレポートを1件追加!

2006年6月24日、愛知県名古屋市にある東海中学・高等学校で行われた、学校主催のイベント「サタデープログラム」で、荒木飛呂彦先生が講師として参加、約1時間20分の「黄金体験」を、燃え尽きるほどヒートしながら書き上げた、渾身のイベントレポートッ!! かなり長いですが、参加された方はイベントの興奮を思い出し、そして参加できなかった方にも、少しでも会場の熱気と、荒木先生の素晴らしさが伝われば幸い。

また、最後には参加された方々のイベントレポートへのリンク集もありますので、荒木飛呂彦に燃えた一日を、色んな人の視点で追体験ッ!!


#「参加された方々の感想&レポートサイトリンク集」に吹っ飛ぶ!

【当日の荒木先生のファッション紹介!】


荒木先生の写真掲載はNGみたいですが、どうしても荒木先生の素敵っぷりを伝えたいッ!という思いに駆られ、急遽、「宇宙りんご」のウメさんにお願いして、当日のファッションまで忠実に再現した荒木先生のイラストを、描き下ろしていただきましたァン!(ディ・モールト・グラッツェ!!!)

情報によると、荒木先生が着こなしていたこの服は、黒のラメ入りシャツグレーのジャケット蛇柄のベルト(ちなみにベルトはあえて逆巻きにされていた)で、これらは全て、有名ブランド「ドルチェ&ガッバーナ」のもの。これにクラッシュの激しいジーンズの組み合わせ。もし何も知らない人に「46歳、職業:マンガ家」と言っても、決して信じてはもらえないような、ディ・モールトお洒落で、若々しい出で立ちだった。(でも足元は学校のスリッパ…(笑)。)

【長文レポート】

1500人を収容できる講堂は満員御礼。あまりにも人数が多すぎて、会場の人の入れ替えに時間がかかり、当初予定より15分ほど遅れた、12時45分の開始となった。

  • <12時45分、東海中学の講堂にて。>
    学生の司会による荒木先生の略歴紹介の後、荒木飛呂彦先生がひょっこり登場。と同時に、講堂を埋め尽くした観衆からは割れんばかりの拍手。それを前に緊張しまくりの荒木先生、「みなさんにお会いできて、ちょっと光栄です。」といきなりトチる(笑)。「かなりちょっとヤバイです。一生分の人間に今日ちょっと会ったのかな」。芸能人じゃないので笑いを期待しないで、と断りながらも「今日はダラダラ行きますんで」、と自然と笑いを取る。
  • <サタプロでの講演を引き受けた理由>
    今年で漫画家生活、丸25年を迎えた荒木先生は、(十数年前から)人に会う時に「昔読んでましたよ!」「子供の頃ファンでした!」と言われるのが、なんか自分が歳を取った、みんなに古いと思われてるのでは?というような恐怖観念があって、ちょっと嫌だったという。しかしここ5年前くらいからは、心が変わってきて、社会的にもちょっと立派な人や、年を取った方からも言われるのが、むしろウレシイ、感謝するようになってきた。それと、若い頃は自分のマンガの為や、出版社の利益の為にマンガを描いていたかもしれないが、なんかちょっと違うかな、人に恩返ししたい、若い人に特に、と思っていた時に、このサタプロの講演依頼が目に留まり、どうせ30~40人くらいの教室でやるんだろうから、「おう、いいっすよ」と引き受けたら、今日来たらスゴイ事になっていて、「話がなんか違うな、と」(一同爆笑)。
  • <マンガを描く動機、家族、少年時代>
    サラリーマンの父と専業主婦の母、荒木少年、そして一卵性双生児の妹達。しかしその妹達がクセ者で、例えばオヤツが3つあったら、先に帰った妹達に食べられてしまい、更に、二人で口裏あわせまでされてしまう。育ち盛りの荒木先生は、オヤツが無かったと思った荒木先生は、「おなかすいたなぁと思って、古~いカマボコの切れっぱしとか食べて」(一同爆笑)、それで悪事が分かると「コノヤロー!」とケンカ、それが毎日だったらしい(更に爆笑)。そんな、妹達2人の中に入れない疎外感、陰謀が辛くて、家に帰りたくなかったほどだったらしい。その時期に、部屋で一人で読めた70年代の傑作マンガや、父親が集めていた画集の絵にひきつけられ、心が救われたのが、マンガを描く動機だったんじゃないかな、との事。ちなみに、もしマンガが無かったら「あのまんまグレて、妹を××してたんじゃないかな」(一同爆笑)。
    #ちなみにフジCS『週刊少年「」』のインタビューで、荒木先生は妹たちを「悪魔のシスター」と表現している(笑)。
  • <マンガを投稿するも、落選の日々>
    中学、高校は進学校だったが、描いたマンガが友人に褒められたので(ちなみに最初のマンガを描いたのは小学校4年のときらしい)、このファン1号が面白いといってくれるならマンガ家になりたいなぁ、と思い出し、親に内緒でマンガを描き始めた。マンガの投稿を始めたのは、高校1年の頃から。しかし、全て落選していた。そして、同じ歳のゆでたまごや、年下の桂正和、他にも怒涛のごとくデビューしていく。しかし荒木先生はなぜ落選したのか分からず、東京の編集部に、徹夜で仕上げた原稿を持って、4時間掛けて直接聞きに行くことにした。ちなみに最初はサンデーの小学館に行くツモリだったが、ビルが大きくてビビって、隣の小さなビルの集英社に持ち込んだ。昼の12時だったが、たまたま1人いた新人(身長185cmくらい)の編集がいたので見せたところ、見るなり「ホワイト漏れてる(修正してない)じゃねーか」。1ページめくるたびに文句を言われ、荒木先生は徹夜疲れも重なって意識朦朧(笑)。しかし最後に、ちょっと面白かったかな、と言われ、急遽、5日後の手塚賞用に描きなおす事に。それが、手塚賞準入選の「武装ポーカー」(ゴージャス★アイリン 荒木飛呂彦短編集[AA]収録)。
    ストーンオーシャン16巻[AA]で荒木先生はこう書かれている。「午後に行ってれば、きっと違う編集者で、その人の影響を受け、違う作品になっていただろう」
  • <当時のジャンプ編集部はスゲェ怖かった>
    当時、「ドラゴンボール」鳥山明先生の担当だった鳥嶋編集(マシリト)は、原稿を袋から取り出して、チラッと表紙を見ただけで、この絵見たくない!と描き直しを命じられたとか。表紙を見ただけで人が見たくなる絵を描いてこい!という事らしい。編集部の雰囲気も殺気立っていたとか。
    でも、サタプロ講演の後半で、マンガの編集者はゴルフのキャディみたいな存在で、「こっち打ったら?」「あと何メートルあるよ」みたいな、客観的な情報を与えてくれるので有り難い。マンガ家になりたい方は編集者と仲良くしないといけない、とも語られていた。
  • <荒木流マンガの描き方(1):10メートル>
    10メートルくらい離れてるのに、「あ、あのマンガ読んでる」と分かる絵は凄いし、とりあえずデビューさせて貰ったけど、それが無いと感じていた。それでどうすりゃいいんだろ、と考えたのが1981年~。どうやったら「アイツだ!」と思って貰える個性をもてるのか。
  • <荒木流マンガの描き方(2):この世の中で一番簡単な絵>
    (真っ白の紙を映しながら)、もし学校の美術の先生に、「これは『雪』の絵です」と言われれば凄く怒られるが、マンガなら、例えば「原爆投下のピカッ」とか「俺の心の中はむなしい」とかもアリ。ここで荒木先生、爆弾発言。「これで原稿料貰ったりする人いるんですよ」(一同爆笑)。「スゴイですよね。例えばあの…、固有名詞出すとヤバイか」(一同更に爆笑)。「あと真っ黒に塗って、まぁ、『地獄に堕ちた』とか。デスノートの最終回辺りがそんな感じ」(一同ディ・モールト爆笑&何故か拍手)。冗談ですけど、と取り繕いながらも、たぶん原稿料何万円と出てる、と更に発言してしまうお茶目な荒木先生。
  • <荒木流マンガの描き方(3):究極なキャラクター>
    バーネット・ニューマンwiki)の、キャンバスに四角いオレンジだけの絵や、黒ベタに白い縦線1本だけの絵、アグネス・マーチンの白いキャンバスに鉛筆で線を引いただけの絵など、モダンアートを紹介。そしてマンガでも、究極に簡単な、誰でも描ける理想の絵として、荒木先生が描いて見せたキャラクターが、

    「こういう公の場で出すと著作権がうるさいので」(一同爆笑)。
    他にもスマイリー・フェイスや、モリゾーとキッコロ(ちなみに荒木先生は鳥山明先生がデザインされたと思っていたとか)、なども紹介し、こういう誰にでも分かる絵を尊敬し、こういうのが欲しかったという。「スゴイですよね、究極ですよね」。
  • <荒木流マンガの描き方(4):ゴーギャン>
    ゴーギャンWiki)の絵は、奥行きがあるのにもかかわらず、色をエリアに囲んで塗る、地面の色がピンクだったり、気が青色だったりする。これが子供の頃から好きで、凄く影響を受けている。「ジョジョ」がOVA化された際、アニメーターから「承太郎って何色なんですか?」と聞かれたが、荒木先生にはそういう概念が無い。計算して塗る。例としてジョジョ54巻のジョルノは服がピンクだが、63巻ではブルー。また、ジョジョ54巻の表紙イラストについて、ピンクの隣に水色で塗る方が、よりパワーが発揮される、と解説。80年代(のアート?)に影響を受けているという。他にも西洋美術の陰影法という、古典的な絵画や彫刻を見ながらポーズを取るという事をしていた。こういうやり方で研究し、個性を作っていったのが「ジョジョ」の絵だと言う。
    ちなみに、ゴーギャンやピカソに影響を受けてると話しながら、「古典っていうか、死んだ人からこうマネるのはね、僕パクリじゃないと思うんですよね。今仕事してる人から盗んでくる・影響受ける(※例の洋画家・和田氏の盗作疑惑を指してると思われる)っていうのは僕パクリだと思ってるんですけど。古典を学ぶっていうか、先輩を尊敬するっていうんですかね。」
  • <荒木流マンガの描き方(5):目指す方向性>
    「荒木先生はこう考える、マンガの地図」

    ※カムイ伝の左下は、マンガ家星野之宣(何故かここだけ作品名じゃない)。

    「自分が何処にいるのか」を考えないと、マンガ家になってもあっちこっちに行ったり、何を描きたいのか分からず逆に「ボク何を描けばいいんでしょうか?」と編集部に聞くような人になってしまう。
    「ジョジョ」の場合、古典的な手法で描こうとして、リアリティを追求しているが、感情や内面よりもストーリー性のほうが優先で、主人公達の運命とかを描こうとしているので、この位置だと考えている、との事。

  • <荒木流マンガの描き方(6):「”謎”をテーマに描いている」>
    子供のときから「謎」に凄く興味があって、無人島に憧れたり、キングコングやネッシーの存在を信じていた荒木先生は、「謎」をテーマにマンガを描いている、という。「何でだ?何でだ?何でゴーギャンはタヒチに行ったんだ?、みたいな」。
    ジョジョにおいても、超能力って何だろう、「エネルギーそのもの」を絵に描けないか、と考えて、ジョジョ1部・2部では『波紋』を、そして、3部から登場したのが、「守護霊みたいなのが岩を割りに行けばいい」と考え付いた、側に立つもの『スタンド』。ちなみに当時は部ごとのインターバルも無くて大変だったとか。「終わったばっかなのにキャラクターはいないッスよー!って」(一同爆笑)
  • <荒木流マンガの描き方(7):「RPG、スゴロク」みたいに>
    当時のジャンプで凄く流行っていたのが「ピラミッド方式(トーナメント方式)」。しかし、どこまで強くなっていくのか? バブル経済と同じで、頂点に到達したら崩壊するんじゃないか? 無限に行けるワケないじゃないか、という疑問があった。それで、RPGやスゴロクのように、その場その場で戦っていくようにしよう、と考えたのが、旅行のようにエジプトを目指した、「ジョジョ3部」のストーリー展開。
荒木先生の一人語りはここまで(13時38分)。
ここからは東海中学の学生との対談形式で進められた。細かい質問が多かったので、ある程度纏めながら紹介。
  • <荒木先生に質問!(1):「少年時代に熱中したことは?」>
    マンガとか映画とか。コレクションは全然しなかったし、プラモのような立体物も作らなかった。
    とにかく絵を描くのが好きで、あとは映画とか小説とか、空想の世界に居たい少年だった。(それらの荒木作品への影響について聞かれ)、物事を成し遂げる時は、先輩を尊敬するのが一番近い。ダヴィンチから始まる、そういう人たちの情報を読み取るのが大切。身に付いたもの、発見したもので学んでいく、と回答。少年時代に読んだマンガで「一番凄かった」のが、梶原一騎/ながやす巧「愛と誠」[AA]で、主人公がナイフで刺されたシーン。というのも、次号で終わるのに、ちょうど正月の合併号で…、「あれはちょっと凄かったです」(一同笑)。
    あと、中学時代は剣道マンガちばてつや「おれは鉄兵」の影響で剣道部に入ったとか。
  • <荒木先生に質問!(2):「杜王町のモデル、仙台市」>
    子供のときの仙台は、古い町だった。しかし、80年代になってから新興住宅地が建ち始めて、家は綺麗だけど何処から来たのかも知らない人、というのがちょっと怖くて、その体験が杜王町に繋がっている。「まぁ、殺人鬼はいないと思いますけど」(一同爆笑)。勿論、荒木先生は自分の故郷が大好きで、あの杜王町は荒木先生なりの「逆の愛」、らしい。でも実名だと怒られるかもしれないので変えたとか。
    河北新報、荒木飛呂彦「埋蔵金求め日々探検」トークエッセイ 荒木飛呂彦「僕の漫画は“こころの叫び”なんです」も参照。
  • <荒木先生に質問!(3):「恋愛は?」>
    男子校だったが、ガールフレンドはいたとの事。「あんまり言うともう、現在の人間関係に支障を来すので」(一同爆笑)。
    #ちなみに荒木先生は結婚されており、『週刊少年「」』のインタビューによると、初恋は高校一年で、好きな異性のタイプは「おしとやかじゃない方がいい」。
  • <荒木先生に質問!(4):「主人公のモデルはいる?」>
    「ええ~~~?」と、困る荒木先生。モデルはいないが、1部・2部は「ランボー」や「ターミネーター」など、筋肉の映画が流行っていた影響があるという。また、承太郎はクリント・イーストウッドを意識していて、走らない・動くのは最小限・寡黙。「その代わりスタンドは速い、と」(一同爆笑)。部ごとに主人公の性格がまるで違うのは、1部を描くと「描いてない部分」が描きたくなるから。(1部:真面目 → 2部:フザケた奴)
  • <荒木先生に質問!(5):「アイリン=ゴージャス★アイリン?」>
    「ジョジョ6部」の最終回(ストーンオーシャン 17巻[AA]収録)に登場したアイリンと、
    『ゴージャス★アイリン』[AA]のアイリンは何か関係が?との質問に、「一応遊び心ってだけで、深い意味はないです。スイマセン」(一同爆笑)
  • <荒木先生に質問!(6):「時間」の能力について>
    一番強い技=「時間」。止めたり、過去に戻ったり、未来を見たり、それを支配できるヤツが居たら無敵だろうな、そして主人公は絶対勝てない力に、どうやって勝つのかな、と思わせたい。重力とか、「物理的なモノを支配する」能力は絶対強い。

    「大阪芸術大学 大学漫画 Vol.4」 荒木飛呂彦×柴崎友香より。

    荒木:時間って、考えるとすごく不思議で。いっぱいあるんですよ。細かく考えていったら、そういうふうに、同じ朝を繰り返すとか、時を止めたりとか、ジャンプしたりとか、何時だけに現れるヤツとかね。でも毎回それやってたら、「ジョジョ、時間ばっかりか」って言われるから(笑)。
    柴崎:時間の表現に興味があるってことですか?
    荒木:面白いし強すぎる概念ですよね。どこまで変わっているんだろう、地球の裏側もその時間になっているのか、とか。
    柴崎:時間を止めている範囲はどこまでなのか。
    荒木:宇宙もなのか、それってどういうエネルギーなんだろう、とか。

  • <荒木先生に質問!(7):「ジョセフ・ジョースター」>
    ジョセフだけ長生きで女好きなのは何故?という”禁断の質問”に対し、
    「当然3部で終わる話だったのに、4部描かなきゃいじゃないですか。もういないんスよ」(一同笑い)。未来過ぎると分からないので、近未来にしたいけど、それだと年齢が合わない(人がいない)。それで…
    「愛人しかいないかな」(一同大爆笑&なぜか拍手)。
  • <荒木先生に質問!(8):「血統」>
    「ジョースター家」だけで話を描いていく理由を聞かれ、前の前の前の…と、どんどん遡って存在する「血筋」に不思議、ミステリーを感じ、誇り高い気分になる。そういうのを大切にしようと思ったから、とか。(真面目な口調で)「愛人から生まれた人でも、血筋はあるわけで、そういうのを大切にしようと」。悪役でもどんな子供時代を過ごしたのか知りたいので、生い立ちを入れる。
  • <荒木先生に質問!(9):「マンガを一言で表すと」>
    返答に困りながらも、『心の救い』っていう感じですかね。無かったらヤバイ、凄く重要だと思う」。サタプロの講演を引き受けたのも、中学生に少しでも、そういう熱い気持ちを伝えたいから。
  • <荒木先生に質問!(10):「洋楽とその影響」>
    スタンドやキャラクターに洋楽の名前を付けるのは、「単なる趣味」。
    ロックのアーティストに対する尊敬の念とオマージュ。「でも最近ちょっとバンドの名前が足りなくなってきてヤバイ」(一同爆笑)。
    また、ジョジョの擬音は、ミュージックの影響(これも週刊少年「」で語られている)。ここで(先日ジャケットも描き下ろした)「SOUL’d OUT」にも触れ、彼らはジョジョから音楽に影響を受けているという。ロックから影響を受けた「ジョジョ」が、また「ロック」に影響を与えている!
  • <荒木先生に質問!(11):「絵柄の変化について」>
    今なお変化を続ける絵柄について聞かれ、古典的な手法で描こうとし、それを追求しているので、同じにならない、どんどん変わっていく。「前の絵にはこだわっていない(断言)」。でも、「読者は混乱するかもしれないけど、許して貰いたいかな」とも。
    「ゴージャス★アイリン 荒木飛呂彦短編集」[AA]にも収録されている、2003年にUJ用に描き下ろされた「アイリン」のイラストは、85年に描かれた原作のキャラとはまるで別人で、当時のUJ PRESSのコメントは、「昔の絵はもう描けない」
  • <荒木先生に質問!(12):「自分としては描ききってるから」>
    ファンレターで「またあのキャラ出してください」とよく言われるが、そこで終わっているので出したくない、との事。また、「バオー来訪者」はいかにも続きそうな感じで終わるが、「あの感じがいいんですよね」との事。とはいえ、バオー来訪者 2巻[AA]では、巻末で作家の夢枕獏先生が「この物語の続編は、やがて必ず描かれねばならないものであろう」、と書かれていたりするのだが…。
  • <荒木先生に質問!(13):「ジョジョを一言で表すと」>
    答えにくい質問に、荒木先生が出した回答は、「『人間の謎』、みたいなのを描きたいんですよね」。何でそんなことをするんだろう、という人がいて、それが永遠のテーマになる、との事。更に、犯罪を犯した人にも、「何でそうなったのか、その存在にも意味はあるんじゃないか」、と考えてマンガを描かれているとか。正しく、”人間讃歌”。

そして時間が来て、司会者から最後の挨拶、そして閉幕。時計を見ると、2006年6月24日、午後2時5分。
時間にして約1時間20分の出来事。しかし、荒木ファンにとっては、間違いなく、紛れもなく、真の意味で「黄金体験」だった。万雷の、本当に一片の出し惜しみもない、熱く暖かな拍手で送られながら、荒木先生は笑顔で、幕の後ろに消えていった。

-完-

大阪から参加したのですが、いやもう、マジに凄かったッ! ディ・モールト素晴らしかったッ! 生の荒木先生ですよッ!? もう顔が本になってペリペリってめくれそうになりましたよ!! 間違いなく一生涯忘れられない出来事になりました。

改めて。予想をブッ飛び超える参加者を前に、終始笑顔で語ってくださった荒木飛呂彦先生と、この素晴らしいイベントを企画された東海中学・高等学校の生徒・先生方に、心より「感謝いたします」

#ちなみに、座席指定券を求める荒木ファンの行列は凄まじく、情報によると7時の開門の時点で200人(!)、そして座席指定券の配布が開始された8時30分には、800人以上にまでふくれあがっていたとか。とはいえ、2階席の後ろの方は、講演開始前でも若干の空きがあったようなので、数的にはちょうどピッタリだった模様。


#レポートのトップまでバイツァ・ダスト!(巻き戻し)

【イベントレポートリンク集】

「幸せだァーッ! 今回の講義に参加された方々の感想&レポートサイトリンク集」

関連:

Amazon.co.jp

  •  JOJO A-GOGO
    1部~5部の画集&スタンド辞典&荒木語録の3冊で構成された、荒木ファン必携の豪華ファンブック。今回サタプロで語られた事についても結構重なっていて、更に詳しく書かれていたりするし、荒木先生のお話を思い出しながら画集を見ると、新たな発見がある・か・も。あとは、荒木飛呂彦×柴崎友香 対談記事が10P掲載された、「大阪芸術大学 大学漫画 Vol.4」も読まれるとベネ(値段も手頃だし)。
(あまりにも多すぎて個々には紹介できませんが、情報&資料、ディ・モールト・グラッツェ!
そして参加された全ての皆さんに、「おつかれさんンン~~ッ」)